2003年8月25日の家宅捜査を受けた時のコラム
「どうやら、ボクは今、警察に追われているようである」


KNN神田です。

人生、長く生きていて、経験できる事と、出来ない事がある。また、経験しなくてもいいような経験をしてしまうこともあるようだ。今回は、しないでいい経験をしてしまうようである。

「どうやらボクは、今、警察に追われているようである」。

なんだか、小説の書き出しのようだが、ノンフィクションだ。
詳しい事情は、遠方にいるので、まだよくわからない。

事の起こりは、やはり7月9日におこなった「セグウェイ広告」で日本の公道をセグウェイで営業活動をおこなったことらしい。あの時は道交法というよりも、道路使用許可がないからという理由で警告があったが、右翼の広報カーも、ニセモノ時計の屋台も、合法ドラッグも、当然「道路使用許可」を得ていないと切り返
した。

その後、原宿警察から事情を伺いたいとの話があった時に、「その説明のためだけに、わざわざ署に出向くことはできない。こちらにいらしてくださればいつでも」とお答えしたが、何の音沙汰もなく、今日に至っていた。

あれから約一ヶ月半、あとでわかったのだが、先週の金曜日、朝の7:00頃に関連会社、8:00頃にKNN その後、クライアントに数十人の警察(刑事?)が動員され、証拠物品をいろいろと「押収」していったそうだ。

朝の7:00から押収するというのは、彼らの常套手段だが、当然、そんな時間に誰も出社はしていないし、当人であるボクがいるはずがない。さらに、彼らが一番押さえたかった証拠の「セグウェイ」は、ボクと一緒に巡業中で事務所には一台も存在しない。

現場にいないので、なんとも想像しにくいのだが、警察の証拠品の押収風景とは、よくテレビのニュースで見かける「何十億の脱税」とかでよく見るダンボールにいっぱい書類を運んで運びだすようなあの光景であろう。

事務所の様子を聞いてみると、パソコン、請求書など、いろんなファイルを裁判所からの押収の許可証を見せて、持ち去ってしまったようである。KNNのパソコンの中には、TSUTAYAで借りた恥ずかしいレンタルDVDも入っているのに…。

こちらには一切何の連絡もなく…。そういえば携帯電話に、非通知発信で留守電なしのコールが2〜3回あったようだが、どうやらそれのようだ。非通知発信で電話されて、メッセージもなければ対応のしようがない。着信履歴に「110番」とでもあればわかるのだが…。せめて留守電にメッセージをいれておくべきだろう。

しかし、警察も仕事といえども、暇ではないはずだ。電話一本で「裁判所から正式な許可がでたから出頭してほしい」といえば、当然、日本国民としてその命令にさからうつもりはない。しかし、証拠品が確認できないところにわざわざ、何十人も天下の公僕を使って、貴重な血税を巻き散らかしている点が、いかがなも
のか?

世間では、劣悪な凶悪犯罪がはびこってもいるのに…。しかも、クライアントにまでいって裁判所からの通知を示して押収することがどのような意味を持つのかも理解している上での「犯行」だから、どうやら「スケープゴート」にしたいようだ。

アメリカで乗れる乗物が日本で乗れない数十年も前の「道交法」に対して、新しい概念ルールを日本も考えなければ、新しいビジネスにも、新しい技術革新にも、新たな交通革命にも乗り遅れてしまうことは明確だ。

もちろん「セグウェイ」はこれが完成形ではない。新たなブレイクスルーによって、さらに画期的な乗物になったとしても日本では私有地だけでの利用になってしまう。

アメリカ人は、この200余年の歴史の中で、国を作ってきたし、領土を拡大したし、法律を変えるし、大統領も自ら選らんでいる。だから経済界、産業界も法制度を変えるための術があるからこそロビー活動などがさかんだ。

日本の場合、新しい技術や科学の進歩に合わせての法的制度の進化はあまりにもりにも遅すぎる。第二次世界大戦後、アメリカに指導された法律のまま、今世紀にいたっても、戦争の度に自問自答する結果となってしまっている。

「道交法」も、クルマが登場していなかったらもっと簡単なルールであっただろう。ブレーキやアクセルのいらない画期的な機能を搭載したクルマが登場しても100年前のクルマのオールドファッションな法律を適用し続けるのであろうか?

ガソリンを燃料にするのではなく、これからは水素と酸素をエネルギーにして内燃機関がなくても動力となりえる時代だ。人とクルマが安全で安心であることが大事であり、ブレーキの有無を論議するよりも、安全に止まれるため機能がそなわっているかどうかのほうに注目すべきなのではないだろうか?

燃料電池で動くローラースケート型義足が現れたらどうなるのかとか。

大きな組織に属していると、個人の考えではなく全体のルールを重んじてしまう。ローカルで個人的な事情は邪魔な存在だ。ムダとは知りながら、ムダなことに人生の大半の時間を投じてしまう。小さな組織では、ルールよりもむしろ個性が重要である。命令系統も組織体そのものも変えることができる。

大きな警察という組織だけで、犯罪を制御できなくなっているのも、それが理由ではないだろうか?本当に今、どのように問題を解決すべきか?という部分を、制度やシステムと照らし合わせるのではなく、それが起きうる原因を解明する、もしくは想像できるイマジネーション力が必要ではないだろうか?

それはそうと、本件は日本の「事件」になっているようなので、何らかの対処はしないといけない。もし、こういう「事件」に明るい方が読者におられたらどうやって対応すべきか示唆いただければ光栄である。